「移住」は憧れじゃなく、問い直しだった
場所を変えるたびに、自分の「普通」が一枚ずつ剥がれていった
京都から焼津に車で引っ越しした時に見た朝日
初めましての人には大体聞かれるのが
「なんでマレーシアに移住したんですか?」
さらに、現地の人からは
「なんでここを選んだの?」
正直に言うと、 海外移住に憧れていたわけじゃない。
英語が話せたわけでも
海外旅行が好きだったわけでもない。
(海外に行ったのは学生時代の修学旅行くらい)
じゃあ、なぜ移住したのか?
ちょっと振り返ってみました。
「ちゃんとしなきゃ」で、息ができなくなっていた
5年前の私は
ワンオペ育児、 終わらない家事
オンライン秘書の在宅ワーク
ひとり社長であるオットの仕事のサポート
それを全部、 「ちゃんとやらなきゃ」
と思いながらこなしていました。
管理栄養士という肩書きも
なんとなく自分へのプレッシャーになっていた。
どれだけ頑張っても
“ちゃんとできてる感覚”が全然なかった。
コロナ禍になってそれがより加速。
頑張るほど、 自分がすり減ってなくなっていく。
そんな風に思っていました。
最初に動いたのは、オットだった
夫にはずっと言っていた夢がありました。
「車ですぐ釣りに行ける、 海のある街に住んでみたい」
次男が山村留学で長野へ行くことになり
「京都から長野、遠すぎるな」 という話に。
そこから、 「いっそのこと、京都を出る?」 という流れに。
(普通はならない)
一旦決めるとすぐにでも動きたいオットは
私に指令を下しました。
「車ですぐ釣りに行ける、 海のある街の移住情報を集めて」
ネット検索で見つけたスマウト を見たり
海沿いの街の区役所のホームページを見たり。
そんな中、オンラインで
移住相談をしてくれる街を見つけました。
どこ??焼津って鯖のイメージやな。
でも、富士山見えるのいいな。
そんな軽いノリで
フォームから問い合わせをして
zoomでの面談を予約。
そこで、市役所の職員さんと
当時の焼津・地域おこし協力隊のぎんちゃんと出会いました。
このお二方が、本当にいい人で。
その時もなぜ焼津に興味を持ってくれたんですか?
と聞かれオットのエピソードを
話したことを覚えています。
若干引いてました。
「ぜひ、下見に来てください。案内します。」
と言われたことを、夫に話したその夜のうちに
夫は翌週の焼津行きを決めていました。
(視察どころか、 物件まで見て帰ってきた。)
ちなみにその頃の夫、
南海トラフのことをほぼ知らなかったらしいです。
今ではめちゃくちゃ怖がっています。笑
その当時、焼津に引っ越すと周囲の人に伝えると
地震怖くないの?ってめっちゃ聞かれました。
そして焼津に移住すると決めてから約2ヶ月で引っ越し完了。
物件が決まってからはたぶん2週間。
夫(いや我が家)のスピード感。
今思い返しても、 どう考えても異常。
最初の「普通」が剥がれた場所 焼津
焼津に来て、一番大きかった気づきは
「知ってる人が誰もいなくても、意外と生きていけるんだ」
ということでした。
自分から動けば、人と繋がれる。
受け身で待つよりずっと世界は広がる。
SNSはいまだに苦手意識があるけど
リアルもSNSも同じなんだよなって思ってはいます🫣
そして、焼津では
やったことないけど、
ちょっとでもやってみたいと思ったことは
とりあえずやってみるようになりました。
ウクレレも、マラソンも、
みんなの図書館さんかくのお店番ボランティアも。
(どれも今はやってないけど😂)
みんなの図書館 さんかく
これを読んでくれているあなたは
「ここを離れたら終わり」
「今の環境を手放したら不安」
そう感じたことは、ありますか?
私は焼津に移住する前は
ずっとそう思っていました。
でも実際に動いてみたら、 意外とそうじゃなかった。
「ここにいなきゃ」「こうしなきゃだめ」は
全部、自分勝手な思い込みだったと気づいた瞬間でした。
もう一枚、剥がれた場所 マレーシア
焼津への移住と家族の成長、気づきを経て
オットがずっと温めていた海外移住の話が
少しずつ現実になっていきました。
海外への渡航が再開されるタイミングで
オットは渡航許可された近隣の国々に視察に行くように。
タイ、フィリピン、シンガポール、インドネシア、マレーシア。
その当時、調べた中で
就労以外のビザで入国できたのは
フィリピンとマレーシア。
実際に現地に足を運んだオットの体感で
フィリピンは治安的、衛生的、物価的にもNG
マレーシアがオットの中での第一候補になりました。
現地の日本人エージェントを探すところから
面談、視察のセッティングまで。
もちろん全部私がやりました😇
そこから私たちも実際に
事情を小学校に伝え、学校を休んで
家族で1週間の視察の旅へ。
その時は、情報の多かった首都クアラルンプールへ。
学校を3校見学したり、 観光したり。
初めて自分の目で見たマレーシアは
想像とずいぶん違いました。
想像よりもずっと都会だったし
思った以上に便利。
視察から帰って、私が思ったのは
「意外と暮らしていけそう」 という感覚でした。
「無理だったら、帰ればいい。
まずはやってみよう。全部大変だけど。」
って、思ったことを覚えています。
そして、視察から帰り、再度調べて
私たちが選んだのは
視察に行ったクアラルンプールではなく
東マレーシアの田舎でした。
実際に現地に住み始めて、すぐに感じたのは
「違う」が当たり前の国なんだ、ということでした。
多民族、多宗教。 それぞれの状況で、
主に話す言語も、食べるものも、休みも、お正月も
考え方も、 大事にしていることも、みんな違う。
お互いに第二言語が英語なこともあって
英語が拙くても、 わかろうとしてくれる人が多い。
「みんな同じじゃなくていい」
「むしろ、違うのが当たり前」
という空気が、 日本より何倍も強い。
そしてここに来て、 私はまた一枚、剥がれました。
日本にいた頃、 私が苦しかったのは、
誰かに強制されたわけじゃなく
「こうあるべき」という空気を
自分で吸い込みすぎていたから。
環境が変わって初めて、 そう気づきました。
移住しなくても、使える問い
ここまで読んで
「移住なんて、うちには無理」
「私には関係ない話だな」
と思った方もいるかもしれません。
でも私が伝えたいのは
「移住して」ではなくて
「自分の当たり前を、一度疑ってみて」
ということ。
住む場所を変えなくても、
この問いは使えます。
わたしたちは移住するにあたって
車も、家具も、家電も、
身の回りのもののほとんどを手放しました。
リュック1個で移動すると決めて。
物を手放してみて気づいたのは
「当たり前に必要」だと思っていたモノが
実はそうじゃなかったということ。
今の自分が「当たり前」だと思っていることの中に、
本当は手放してもいいものが混ざっていませんか?
私は混ざっていました。かなり、たくさん。
当たり前を見直してみたい。そう感じたなら
まずは断捨離から、やってみてもいいかもしれません。
それに気づかせてくれたのが
私にとっての「移住」という選択でした。
新しい場所に、人に出会うたびに
自分の「普通」が一枚ずつ剥がれていく。
自分の中の違和感を無視しなくていい。
自分の中の声こそ、一番聞かなきゃいけない声。
違うなと思ったら、場所を変えてもいい。
立ち止まっていい。
立ち止まることは弱さじゃない。
今では、空気って読むものじゃなく、
吸って吐くものだと思っています。
少々「は?」って思うことがあっても
まあ仕方ないよね、ってなるし。
そして、昔よりだいぶ図太く
「まあいっか」が言えるようになりました。
注文間違ってても言えなかったけど
砂糖入りのコピ(コーヒー)の時だけは
交換して!って言えるようになりましたw
夫には
「真面目って褒め言葉じゃないから」
と言われ続けていたのに
今ではこの力の抜けた感じを
「いい感じ」と言ってもらえるようになりました。
最後まで
お読みいただきありがとうございます🌿
また、よってってや🧡
今日のラテ様をどうぞ🐈








初めましてフォロー失礼します!子供がいるとなかなか身軽になれないなーと思ってましたが言い訳して蓋してるだけだったなと反省しました!素敵な記事をありがとうございます😊これからよろしくお願いします🙇♀️